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もう8年、まだ8年.....
東日本大震災から8年....。
もう8年なのか?、まだ8年なのか?。
被災者にとっては激動の8年間であったというのは紛れもない事実なのですが、人によってこの8年間という歳月が長いと感じるのか、短いと感じるのかはそれぞれと思います。
あくまでも個人的意見ですが、私にとってみれはとても短い8年間だったように思います。
サラリーマンから家業を継ぐための決断をした、まさに人生をも変えた震災でありましたが、このように震災で人生を大きく変えられた方というのは非常に多いとお見受けします。
8年という歳月は、普通に暮らしていれば普通の8年なんでしょうけれど、この被災地には8年前の今日、普通ではない天災に見舞われたのです。
その事実は決して変えられるものではないし、語り継いでいかなければならないものであると察します。
当ブログを更新するのは、実に半年振りくらいですが....。
本当のところ、今日は記事を書かないつもりでした。
しかし、今日と言う日にブログを書かないとなると、このブログを立ち上げた意味がなくなってしまうのです。
というわけで、今回の記事は未来志向で記事を書いていきます。
震災の頃の悲惨な画像等は一切載せません。
過去を振り返るのは最小限、あくまでも現在進行形もしくは未来志向で記事を書いていきます。
宮古市の現状
昨年2018年の10月に宮古市役所の新庁舎が稼働しました。
宮古市役所、宮古保健センター、市民交流センターが一つになった「イーストピアみやこ」という名称で意気揚々とスタートしました。
毎月私もお邪魔していますが、最新設備が整った館内はとてもきれいで快適です。
市役所移転については様々な意見もありましたが、結果として移転して良かったのでは?。
有事の際に行政が動かない事で困るのは我々市民です。
旧庁舎の耐用年数問題、そして有事の際を考えての移転ですから、今回の建替移転は然るべき措置であると考えます。
三陸鉄道
三陸鉄道は第3セクター方式で設立された日本初の歴史的な民間の鉄道会社です。
震災前は岩手県の久慈市から大船渡市までの区間をJR東日本の路線を共用しつつ運用していました。
三鉄さんも震災にて車両、駅舎、線路等を被災されていて復旧のために尽力された会社でもあります。
震災後は宮古~釜石間の路線は壊滅的な被害をうけました。もともと赤字路線であった同線ですが、路線を管理するJR東日本は復旧に掛ける費用やその後の採算を検討した結果、一時は廃線を発表しました。
しかしながら、地元では学生やお年寄りの通学・移動のための貴重な足となっている事も事実であり、行政や国会議員さんなどの働きかけによりJR側で宮古釜石間を完全に修復した状態で三鉄さんに移管することが決まっています。
正式な移管日は2019年の3月23日(土)。
今現在、試験運行が必死に行われています。
8年間地元を走る鉄道を見たこともない子どもたち。
今の8歳までの子どもたちがそれに該当します。
上の写真に映る我が息子(9歳)も然り、自宅の脇に線路が走っているにも関わらず、その線路の上を汽車が走っているのを初めて見るわけです。
それは逆に鉄道は怖いものであるという危険認識にも乏しい状況にあるわけですから、地元の小学校では踏切の渡り方や線路内に立ち入らないなどの指導を徹底しているようです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2343940655826270&set=a.1847897345430606&type=3&theater
上記のフェイスブックの記事についても、とても心の温まる記事となっていますので、是非ご一読とシェアをお願い致します。
JR東日本から宮古~釜石間の移管を受けた三陸鉄道は、総延長が163kmの路線となり、第3セクター鉄道としては日本最長の路線を有する第3セクター鉄道となります。
岩手県としても地元民としても、三鉄さんを応援しつつ、個人的にも利用機会を増やしていかなければなりませんね。
復興は未来志向でなければならない
私もこれまで、このブログにて東日本大震災関連の多くの記事を書いてきました。
8年目にして思うことは、このような震災関連の記事は未来志向でなければならないということです。
震災にて犠牲になられた方に対して手を合わせるとともに、残された我々は常に未来を見据えて生きていかなければなりません。
過去ばかり振り返っていても前には進めません。
前に進めなくなったときに過去を振り返る事はあるかも知れませんが、その後は確実に前に進まなければ生きて行けなくなってしまいます。
宮古市は、皮肉にも復興景気と呼ばれた数年間に間もなくピリオドが打たれようとしています。
これまでは復興関連の仕事をしていれば、誰であろうと苦労もせずに事業を継続して来られました。
しかし、これからは違います。当館も然りです。
黙っていてもお客様からの予約の電話が鳴るという日々は終わったと考えなければなりません。
お客様を呼び込むための具体的な施策を持っていないとお客様は呼び込めません。それはやがて事業の衰退を示唆しています。
これからの宮古市、そして自分たちが営んでいる事業を真剣に見直すべきときがいよいよやってきた、そんな気がする8年目です。
まとめ
みかわ旅館も生まれ変わらなければなりません。
方針を明確にして、今後の事業計画を立てつつも、今後も地域や他県から必要とされる宿として営業するための施策を実行してまいります。
そんな意味では、これからが本当の復興になるのかも知れません。