東日本大震災関連

3.11 震災から6年.....日出ずる街の復興の足音

2017年3月11日

目次

はじめに

ご無沙汰しております。

日出ずる街 宮古市のみかわ旅館です。

 

 

なんと!ブログ更新が正月の新年の挨拶以来だ....という事実にはどうか触れないで下さい。

3ヶ月振りです。

相変わらず一つの事に執着する事がどうも苦手なshigeです。

宮古市のお宿事情については私が言及する事でもないのですが、宮古市内のお宿の方でブログを持っている施設も非常に少ないことから、当ブログにて情報収集する方も多いと聞きます。

なのに.....ブログが一向に更新されない.....。

これは、かなりの問題ですね。

読者の方々の期待を裏切らないようにしなければ.....ですね。

先日、私の69歳の母の中学校時代の同級会が開催されました。当日大女将はもちろん不在となったのですが、今年に入ってからというもの工事のお客様数も激減してしまい、悲しいことに若女将と二人でも充分に賄える程になってしまいました。

その母の同級会、岩手県外の同級生の参加もあったとの事ですが、その中のお一人がこのブログを見ていて下さっているとの事。宮古の情報が首都圏にはなかなか入ってこないとの事で、このブログで宮古の今の情報を見られるとの事でした。

そんな事を聞けば、なおさら更新頻度は上げなければと痛感しています。

そして今日、震災から6年という節目に日に当たります。最近の更新頻度が乏しい当ブログにおいても年間で一番アクセス数の集まる日となってしまいました。そんな忘れもしない節目において更新をしないわけにはいかず、この数日間各地に撮影に赴いたり下書きを進めたりと粛々と準備は進めていたのです。

ちょっと長いエントリーになってしまいましたが、どうか最後までお付き合い下さい。

 

 

震災から6年

毎年3月のこの時期を迎えると、どことなく世間が慌ただしくなります。

それは、迎えるべくして迎えた卒業シーズンの到来というものでは決してなく、忘れもしないあの震災を思い出してしまうからなのです。

月日が経つのは早いものです。

あれから6年。

その6年の間に私たち人間が出来た事と言えば、それほど多くも大きくもないのです。あの、ほんの数分でいくつもの街を飲み込んでしまったあの未曾有の津波のエネルギーはそれだけ大きかったという事なのです。

無くなるのは一瞬でもそれを元に戻すという作業は一筋縄では行きません。これだけ時間と人出とお金が掛かっても、6年間で出来た事は決して多くはありません。

 

 

防潮堤も建設にはまだまだ時間が掛かります。

 

 

宮古市内の災害公営住宅は平成28年中にほぼ完成しましたが、現状家を新しく建てるかどうかの選択を迫られている方も少なくありません。

特にお子様の居ないご高齢の方にとってみると、家を建てたとしても自分の代でローンを払い切れないともなれば建てたくても建てられません。その前に2世代でないと住宅ローンも通りません。

これは、宮古市に限った事ではなく被災地全体が抱えている問題です。

宮古市より南に40キロほど離れた大槌町は、街の中心部全体が津波でやられてしまいました。現在は区画整理と嵩上げが終わり、間もなく住民も住宅を建てられるようになるとの事です。町としての当初の予定では、整備が終わった住宅地に約2,000人の住民が戻ってくる事を想定して区画を整備したのですが、実際に戻ってくると意思表示した住民はその半分にも満たなかったとの事。悲しい現実です。

被災者の中には一刻も早く生まれ育った土地に戻りたいと願う人が居る一方で、あの災害が脳裏から離れずに故郷を離れる人が後を絶たないというのも悲しい現実なのです。

 

 宮古市の復興状況

宮古市高浜

当ブログに度々登場する、宮古市高浜の異人館さん。

 

 

この日はたまたまマスター不在でした。

お電話にて撮影の許可を頂いてちょっとお邪魔して撮影させて頂きました。

 

 

すでにお店の前には防潮堤が立ちはだかっていて、店内からは海の眺望が出来ません。

昨年、同じ場所で撮影したのが下です。

 

 

■2017年3月現在の異人館前の国道45号線沿い

 

 

■2015年11月撮影の同場所

 

宮古市藤の川

市内でも泳ぎやすいと好評の 藤の川海水浴場
私も幼少から学生時代にかけての、まさにホームビーチです。

 

 

 

しかしながら、現在は防潮堤工事のために現在の国道45号線を砂浜に迂回させるための工事が進捗中です。砂浜の上にシートを敷いて、その上に土盛りをして架設の国道を敷設するのだとか。ここ数年間は、ここでの海水浴は絶望的です。

震災後は海水浴客もめっきり減ってしまって、それ以降全盛期のような海水浴場としての盛り上がりを見ることはありません。瓦礫も綺麗に撤去されて安全は確保されていても、やはり地元民からするとあの震災の記憶というものが邪魔してしまい、海に足を入れるという行為さえ抵抗があるのも事実なのです。

海水浴客あっての宮古市だけに、今後も海水浴客の見込みが無いという事実はかなり深刻な問題と成り得る事でしょう。

 

宮古市鍬ヶ崎~日立浜

鍬ヶ崎と日立浜はお隣同士の町内ですが、鍬ヶ崎と言えば浄土ヶ浜に通じる玄関口でもあり、そして道の駅と宮古魚市場がある事でも知られています。
この鍬ヶ崎と日立浜は、今の今まで何故か?防潮堤というものが存在しなかったために、震災時は市内でも最も甚大は被害が出た地区でもあります。

 

 

この通り、海に面していながら防潮堤の姿が見当たりません。
画面中央に白くかすかにそびえ立つのが見えますが、まさに今建設中の防潮堤です。

この度の震災を受けて、防潮堤が無かった事による被害の大きさがクローズアップされ、現在は急ピッチで防潮堤の建設が進んでいます。

この日は残念ながら曇り空での撮影でしたので眺望的にはがっかりの画像となってしまいましたが、晴れている日はとても綺麗な漁港と海と青さのコントラストがとても綺麗な漁港です。

あの震災が無ければ、防潮堤が無いという事実を疑問視する声も無かったというのも今となっては疑問に思うところ。宮古湾に押し寄せた津波は鍬ヶ崎と日立浜の集落を一瞬で飲み込み、2つの街があっという間に瓦礫の街と化しました。

 

震災時の鍬ヶ崎~日立浜地区の状況

異人館のマスターからの提供画像を使用させて頂いております。

 

 

f:id:shigeru0214jp:20170310090938j:plain

 

 

防潮堤の無かった街はほぼ壊滅でした。

 

 

現在の鍬ヶ崎地区の復興状況

 

 

 

 

 

高さは約8m、鍬ヶ崎~日立浜地区の防潮堤工事だけでも予算は当初の計画段階時の82億だったのが、更なる安全性の確保など工法がが見直され、総事業費は112億円に及ぶとの事。

 

■出典 岩手県沿岸広域振興局 宮古土木センターHPより

 

この防潮堤が次なる有事の際に住民の安全を100%保証してくれるのかどうかは、次の津波が来るまで誰にも分からないのです。

防潮堤はあくまでも津波に対する一時的な抑止力にしかなり得ません。

本当に自分や大切な人の命を守るためには、

地震が発生したら高台に逃げる
 実はこれしか無いのです。

宮古市役所

以前、当ブログでエントリーした、宮古市役所の移転に関する記事。

反響は大きかったです。

宮古市の職員さんまで読んでくれていたとか.....。

 

 

その後の市議会で移転が承認され、数ヶ月前から工事が始まっています。

昨年2106年の1月に記事を書いた時点では空き地(地盤改良中)でした。

 

 

現在は地盤改良工事も終わり、基礎工事が始まりました。

 

 

 

2018年7月の完成を目指しています。

現在の宮古市役所の本庁舎。

間もなく築50年を迎えようとしています。

 

 

「宮古市役所の移転問題に揺れる宮古市」でも言及したのですが、宮古市役所新庁舎の移転と建設においてはこれまでにも様々な議論が交わされて来ました。

あまり表には出ておりませんが、昨年(2016年9月)に発生した台風10号においても甚大な浸水被害がありました。

行政の中心と成り得るべき市役所が災害に見舞われるということは、街として、行政としての機能がストップする事を意味します。

賛否両論があるこの問題ですが、今後のことを考えても移転は正解でしょう。

既に建設も始まっています。

 

新しい庁舎の外観

以前、市役所の都市計画課の方の公演を聞いた際に頂いた資料を掲載させて頂いています。新庁舎はJR宮古駅、そして三陸鉄道宮古駅の線路をまたぐようにアクセス道も設けられ、出逢い橋からでないとアクセスできなかった線路の向こう側にも歩行者がアクセス出来るようになるとのこと。とても斬新なアイデアですね。

いっそのこと、JR宮古駅の駅舎も新しくして欲しいですけど.....。

 

 

 

 

 

同敷地内には、先の震災で被災し現在は宮古市総合体育館の一角を借りて建てられている宮古保健センターも新設されるということです。

地上6階RC造、建築面積353.92㎡、延べ面積14,358.95㎡、総工事費は112億円。

宮古駅から専用通路が設けられるという点においては、車を持たないお年寄りには大変便利な立地ではあります。庁舎への車でのアクセスの場合は、国道106号線からのみ可能な点を考えると国道と周辺道路の混雑の懸念もありますが、三陸縦貫道の開通によって交通量が自動車専用道に分散化されれば、次第にその問題は回避されるようになるのでは無いでしょうか?。

 

 

旅館裏の復興道路

 

当旅館の裏山に当たる宮古市磯鶏の宮古西道路ですが、現在も工事が行われている最中です。

 

 

ちょうど山の頂上付近が道路となるようで、側面部分は出来上がっているようです。日中はダンプや重機が行ったり来たりと賑やかな現場となっていますが、もうしばらくの辛抱ですね。

この道路は、国道45号線から盛岡道路に通じるインターの出口となるのですが、宮古市松山の宮古中央支ICまでの区間は自動車専用道ではなく一般道となるらしいので、つまりは自転車での通行も可能という事なのでしょうね。

それが本当だとしたら、ぜひ自転車で走りたいな....と思ってます。

当初、旅館の裏山に道路が出来るという事実を知った時、クルマが日夜走るようになったら騒音が相当すごいんだろうな.....と思ってましたが、山の頂上付近に道路が敷設されるようなのでその心配もなさそうです。

 

これからの宮古市の行く末

工事のお客様を受け入れている現在、北はお隣の青森から南は山口県、愛媛県のお客様も宿泊されているのですが、最近気になることをよく言われます。

 

「宮古ってホント何もないよね〜」

 

「復興工事が終わったら街中は閑散とするんじゃないの?」

 

という悲観的なご意見ばかりを頂戴します。

これには、宮古市は陸中海岸でも有数の景勝地として知られている「浄土ヶ浜」を有しているのですが、今の浄土ヶ浜は活気もなく景観を楽しむ以外の娯楽とも言えるべきものがありません。

 

 

私が小学校の頃、今から30年も前の話ですが、当時の浄土ヶ浜は活気に満ち溢れていました。スワンボートや手漕ぎボートもあり、第一駐車場からメインの浄土ヶ浜に通じる遊歩道の道中には民間の屋台的なお店もあり、イカ焼きや焼きそば匂いが立ち込めるような観光地でした。バブル全盛期の話ですけれど。

今は石灰岩で覆われた白い岩が立つただの砂浜しかないのです。

 

これは2年前に当館に宿泊された東京のご家族連れのお客様から言われたことなのですが、

「昔来た時には活気で賑わっていたけど、すっかり廃れてしまったね.....」

 

と。

 

そのお客様は小さいお子様づれでしたが、そのお子さんにも「楽しかった?」

 

と聞くと

 

「何もなくてつまらなかった」

 

との悲しい回答。

 

国立公園だからという理由で民間の企業が事業に介入することが認められてないそうですが、行政が中心となった事業の結果が今の浄土ヶ浜です。

それは観光客の減少という明確な裏付けもあります。

観光客の減少は景気だけの話なのでしょか?

 

観光客の減 ⇒ 経費の削減 ⇒ 各施設の撤退 ⇒ 現在

まさに負のスパイラルに陥った訳だ。

 

観光客を増やす取り組み。将来の「浄土ヶ浜」の事を考えて必死になって取り組んだ事があるのかも疑問です。

市民にはそれが伝わってきません。

という事は観光客の方には、もっと敏感に伝わっているはずです。

浄土ヶ浜ターミナルは閉鎖してレストハウスを新設し、第一駐車場はバスの停留所が中央に鎮座しています。クルマで訪れる比率が多い浄土ヶ浜のメインとなる駐車場までをも潰してバスの乗車場がそんなに必要だったのか?疑問です。観光客の事を考えていない。だから観光客が減少するのです。

これが今の宮古の観光の現実です。

観光客が激減したのは、バブル崩壊やリーマンショックの影響と考えるのは極めて危険です。間接的な影響はあったとは思いますが、こんな寂れた浜に観光に来た観光客が2年後、3年後にまた宮古に来てくれるでしょうか?。

私は1日程度の休みが取れれば秋田県の田沢湖まで年に一度は日帰りドライブ をします。田沢湖は本当にいいところです。観光地としての要素がたくさん詰まっている素晴らしい観光地だと思います。周囲の地形をうまく使って周辺の小高い丘の上に公園を作ったり、周辺道路はしっかりと整備されて売店や休憩スペースを上手に作っている点はまさに観光地のお手本。辰子姫伝説の神話も田沢湖の存在を後押ししてくれているというストーリー性と神秘性に溢れた観光地。観光バスの往来も頻繁で、他県ナンバーのクルマが殆どです。

浄土ヶ浜も神秘性はあると想うんですけどね、もっと田沢湖を見習ってほしいと思うところです。

旅館の運営に際して、震災後は観光に力を入れて.....なんて私も言ってはいますが、今の宮古市では観光に対しての需要はとても厳しいものがあるのです。

浄土ヶ浜から龍泉洞〜そして北山崎へと観光の足は流れ、最終的には内陸の温泉地に宿を取るという岩手県沿岸部の黄金ルートが出来上がってしまっており、宮古に足を留めてもらうという武器もなく街としての魅力が少なすぎるのです。

今後の宮古市の観光産業を考えるには一人の力だけでは何もなりません。

行政にだけ頼る訳にも行きませんが、今の宮古市や観光業界が今後の観光需要に対してどれだけ真剣に考えているのかも不透明なところもあります。

観光の衰退は数年前から始まっている現状、その打開策を早急に構築する必要に今、迫られているのです。

死の観光地にしないために今やるべき事があるのです。

室蘭からのフェリー就航が決まっても、今のままではダメです。

私だって、宮古生まれの宮古そだち。

「宮古って何もないよね〜」

なんて言われれば、生まれ故郷をバカにされているようで悔しくて仕方がないのです。

でも、これが今の宮古の悲しい現実です。

 

まとめ

今日で震災から6年が経過しました。

今回のエントリーでお伝えした通り、被災地は未だ復興の真っ最中です。
あと何年で、どの程度まで復旧、復興が進めば ”復興した” と言えるのかは全くわかりません。
工事のお客様たちが口を合わせて言っているように、今後の被災地の将来を考えると気が気ではありません。
何かしなければ.....と頭を悩ませても、忙しい日々に翻弄されてゆっくり考えている訳にもいかないのです。まさに負のスパイラルです。

今は工事のお客様に対して出来る限りのことをすることだけを考えていますが、それだけではこれからの被災地に明るい将来などないのです。

命を守る事に対しての次の施策として、被災地の経済を守る施策を同時に考えていくべきとに来ているのです。

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