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震災から5年......耐えられなかった。
以前にもお伝えしていたのですが、みかわ家に代々伝わる赤松『通称:常世の松」が枯れ果てて死んでしまいました。
過去記事です。
祖父の代から伝わる松の木で、推定樹齢は150年前後と言われています。
東日本大震災で被災し半分以上が塩水に浸かったにも関わらず、今日まで頑張って生きていただけに残念でなりません。
いや、言い方を変えれば、「震災後、よくぞここまで生き永らえてくれた」と言ったほうが良いのかもしれませんね。
5月の中旬に伐採
なかなか記事をUPする余裕が無くて、なんと2ヶ月前の話になってしまうのですが、去る5月のG/W明けに伐採を行いました。
今回お世話になるのは、宮古市の 「関口生花店 緑化造園部」 さん。
部長の関口さんとは宮古異業種交流会でのお付き合いがあります。
枯れ果てる前からお手入れもお願いしておりましたが、その時点で「もう諦めたほうがいいですね.....」と言われ続けてきたので、ある程度の心の準備は出来ていました。
ここまで成長するのに100年以上の年月が掛かっているのに、伐採はほんの一瞬で終わってしまいました。所要時間約30分でした。
気になる樹齢は......
若女将が年輪を数えておりましたが、なんと!途中で断念。
集中力の無さに課題が残ります.....。
で、結果ですが、100個までは数えたそうですが残りの年輪がざっと20個以上はあったとの事でしたので、樹齢は推定で120年以上という事になりますね。
120年間お疲れ様でした。
松の木撤去後の旅館の外構部分。
すっかり殺風景になってしまいました。
植物の好きな若女将も相当ショックだったらしく、ただ呆然と立ち尽くしています。
切株の撤去は後日に控え、この日はとりあえずの上部分のカットのみで作業を終えました。
出来ることならこのまま切株だけでも残したいのですが、商売上そうも行かないのです。
つぎなる造園計画
いつまでも落ち込んではいられないのです。
造園屋さんと次なる計画です。
大女将が祖父から松の木を受け継いできたので、母の意見を参考に今後の造園計画を立てます。
松の木が無くなったら、次もやはり松の木なのか?
それとも、全く別の木を植えてイメージチェンジを図るのか?。
和風 ⇨ 洋風 もありですよね。
母の次なる希望は 「キャラの木」 でした。
で、関口さんにキャラの木を注文。
「出来るだけ枝振りの良くて青々とした元気そうなやつを頼みます!」と伝えます。
人間も植物も元気であるに越した事は無いですからね。
先祖代々受け継いできた松の木を活かしきれなかった事を悔やみつつも、旅館を再建して今日までやってきた経緯があるように、
自分がみかわ家の新たな歴史を作る!!
守るべきものと変わりゆくもの。
それは、それぞれが対局に面していますが、守られなかったのなら今までに無かったものを創造していかなければみかわ家の将来は.....そして人類の進歩はないのです(って大袈裟な.....)。
造園は6月の下旬に計画(実際は既に終わっていますが、順次記事にしてUPして参ります)。
関口生花店さんの造園技術にも大いに期待したいところです。