震災に負けず立ち上がった宮古の名も無き旅館の記録

みかわ旅館のブログ

東日本大震災からの軌跡・・・過去連載記事 ③

2015年2月27日

この記事は、他のブログにて震災直後に元の建物(民宿時代)が解体されていく様子をUPしたものです。

 

掲載日時:2011年4月3日(gooブログより)

今回から、撮影した画像を少しづつUPして行きたいと思います。
現在の自分の住まいは、幸いな事に海から結構な距離があるため幸い被害はありませんでしたが、問題は海から500mの場所にある実家。

同じ宮古市内の磯鶏 石崎(ソケイ イシザキ)地区にあり、家業である民宿を営んでおります。

 

屋号は ”民宿 みかわ”

 

 

震災当時の状況

今、実家に住んでいるのは、私の62歳の母一人のみ。

同じ市内に住んでいたものの、私は3年前に所帯を持ち新居(アパート)を構えたばかりで、母とはここ3年程別居状態でした。

私も仕事を持っていた為、母が一人で家業の民宿を切り盛り状態。

3月11日の地震発生時、職場を離れた私は、母の安否ばかりが気がかりで・・・。

当日夜、停電の状態で震度5強の余震が続くなか、不安がる嫁と息子を家に残し、実家の磯鶏にクルマを走らせました。

あと2キロ程で実家到着というところで検問。「これ以上は進入禁止です」と警察が道路閉鎖中!!。

「母が一人家に取り残されているかも知れない・・・」

と告げると、しぶしぶ通してくれました。

しかし、そこから先さらに1キロ程進んだあたり、国道45号線沿いの宮古市民文化会館付近。

見るも無残な光景・・・。停電中の町内は当然真っ暗・・・。

闇夜に浮かび上がるのは、私のクルマのライトに照らされた道路を覆い尽くす材木と瓦礫の残骸・・・。

徒歩で歩くにもリスクが大きすぎる。

車から降りて、歩けるところまで歩こうと試みるも、足元は海水が数センチ残っており、住宅地のど真ん中でありながら潮の香りが漂う何とも異様な光景でした。

直径1メートル、長さ5メートルはあろうかという大木(近所にある木材港で管理しているラワン材の原木が住宅地に流れ込んだもの)に行く手を阻まれ、徒歩数メートルほど歩いたものの結局は断念。

 

その日は諦めて家に帰る事に。

 

翌日、改めて実家に向けて出発。通行規制は一時的に解除されていた。

実家まであと100m・・・相変わらずクルマでは近づけなかった。

路駐したまま走って実家へ・・・。

 

以下、実家である 旧民宿みかわの画像です。

 

1F客室

 

1F客室

 

建物の北東の角部分に観光バスが流されて直撃。一番大事な角の柱を含め5本の柱が折れてしまい、全壊認定を受けました。

 

ご近所の乗用車も・・・。この自家用車の持ち主さんからは 「立体駐車場」 と呼ばれました。

 

1F帳場

 

先ほどのバスと乗用車をクローズアップ

 

1F玄関付近 玄関ドアは突き破られて100mほど近所に流されておりました。

 

民宿の裏手 ご近所の車の墓場です・・・。

 

民宿みかわ全景(北側)

 

ご近所の状況 タクシーが擁壁に乗り上げてます。

 

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