目次
はじめに.......
御無沙汰しております。
皆様、大変お久しぶりでございます。
実は前回記事にて、最近のブログ更新が滞っている理由についてちょっと言い訳をさせて頂いていたのですが、1月から肘を痛めておりまして、医者から手指を主に使う作業をしばらくはお休みして下さいとの事を言われておりまして、なかなか更新も出来ずにおります。
キーを入力する度に肘が痛みます。
上腕骨外側上顆炎という怪我をしてしまい右手に力が入らず激痛が走ります。細かい作業もちょっとキツいのですが、旅館業務にストップは掛けられず老体にムチを打ちながら営業しております....笑。
実は最近、別のブログも立ちあげており、つい先日、そちらのブログではしばらくのお休み宣言をさせて頂いたばかりなのですが、震災から5年というこの日にこのブログ更新をしないわけには行かず、本日は更新させて頂くに至りました。
2月からこの3月は過去にないほど忙しい毎日を送らせて頂いております。
これも復興工事業者さまの恩恵に預かる部分が極めて高い事は言うまでもない事実であり、故に観光目的でいらっしゃるお客様の受け入れが困難なことも当館としては悩みどころなのです。
本日で震災から5年が経過いたしました。
この激動の5年間を振り返るには、ブログの一記事だけでは到底語り尽くせるものではありません。
ご参考までに、このブログで取り上げました過去の震災関連のエントリーです。
この5年で失ったもの........。
忘れもしません。
2011年のあの日、3月11日。
あの日も今日と同じ金曜日でした。
私が今の道を歩むストーリは、まさにそこから始まっていたのかも知れません。
震災前は観光客も工事関係者の宿泊数も激減していた中、母一人で運営していた「民宿業」を廃業しようかと話し合っていた時期でした。
私は14年前から市内の飲食店で働いていて、そのような状態であった家業を継ぐ意思もなく、そして親もそれを望んではいませんでした。
「あなたはあなたで、自分が選んだ職業で生計を立てなさい」
小さいころから、休む間もなく朝から晩まで働いている親の背中を見て育った私でしたが、親の苦労を十分に知っていたため、絶対にこの仕事だけは跡継ぎしたくない!というのが本音でした。
一生サラリーマンとしてその会社に自身のすべてを投げ打ってでも、その会社を大きくすることに貢献する人生を送ろうと決めかけていた時期でもありました。
結果、震災に遭い実家も民宿も財産もすべてを失いました。
しかし、市内の同業者の社長さまからお声を掛けて頂いたのがきっかけで、やがて私は家業である「民宿」を再建する決意をします。
それは会社員として生計を立てていた私にとってみれば、まさに人生の大きな岐路に立つ事になります。
将来的には独立したいという意思が全く無かったかと言えばそれもYESとも言い切れないのですが、実際に震災前のあの世の中の景気の中、独立して開業するというリスクを考えると、それはそれは難しいものでした。
しかし、今はこうして旅館業を再建し、お陰様で多くのお客様に支持されながら商売も軌道に載せることが出来ました。
今思い出してもビックリするのですが、あの時、同業者の社長さんに声を掛けられた時の私は何の迷いも無かったのです。
しかし、それから開業に至るまでの3年の間は、本当に事業を再建するのか迷いに迷いました。一言返事をしたのはいいが、本当に自分にこの事業を全うする事が出来るのか?もがき苦しむ事になります。
会社を辞めて被災した宿泊施設を再建する事はつまり、独立して開業する事を意味します。
実際に今こうして家業を継いだ事になりますが、それは私一人の力では決してなく、私の意思を汲んでくれて全力でサポートしてくれている家族と3人のパートさんの協力があってこそなのです。
そして、12年務めた会社.....
アンドーコーポレーション有限会社の安藤社長と、それまでの12年間、私を支えてくれた50名の部下のみんなが会社を後にする私の背中をそっと押してくれたことにあります。
最後は涙、涙のお別れでした。
震災で失ったもの、私にとっては実家も財産もその一つですが、それまでの12年間を共に過ごしてきた大事な同僚たちと同僚では無くなってしまった事も私にとっては失ってしまったも同然の出来事でした。
そして震災を期に変わったもの.......私の会社員生活から一変して事業主になりました。
事業主ともなると、お付き合いする方々もガラリと変わります。
市役所、消防、保健所、税務署をはじめとする行政から、税理士さんや関連業者さんなど様々。
こうしてみると、人と人とのつながりをこれほどまでに意識していなかった会社員時代とは環境が一変してしまいました。
まさに震災を期に、私の生活環境は180度変わってしまいました。
毎日朝5時から夜9時過ぎまでの勤務時間を要する旅館業は決して楽なものではありませんが、毎日がとても充実しています。
[復興工事を宿泊施設で支える」というキャッチフレーズを掲げた私にとっては、数ヶ月間休みが無くともこの事業は何としてでもやりきらねばならないのです。
この5年で変わったもの.....
街の景色はどんどん変わっていきます。
震災前から震災後、その風景は変わってほしくないと思う一方で変わらざるを得ないものも中にはあります。
でも、決して変えては行けないものもあります。
震災前の家業の屋号は「民宿みかわ」でしたが、「みかわ旅館」に改めました。
今思えば、もしからしたらそれは......変えてはいけなかったものだったのかも知れません。
でも、後悔はしていません。
私は過去との決別を決意しました。
震災を経験した事により、防災意識も変わりました。
環境も変わりました。
そして、生活も変わりました。
街並みも日常の風景も変わりました。
被災したからとて、いつまでも国や県、そして市からの援助を求め続けては行けないと感じます。
だから私は屋号を変えて、気持ちも新たに自立しなければならないという断腸の思いで先祖代々受け継いできた旧屋号を切り離しました。
そして、私たち自身が変わっていかなければならないのです。
もっと、もっと強くならなければなりません。
どうやったら、一日も早く復興が出来るのか?
どうやったら、早くもとの生活が出来るようになるのか?
どうやったら、失った人口を取り戻せるのか?
それは、被災地に住む被災を逃れて今を生き延びている私たちにとっての永遠のテーマなのかも知れません。
そしてそれは、簡単に解決出来る問題ばかりではありません。
でも、これからの長い人生をこの地で生きていくと決意したのならば、決して避けては通れる道のりではありません。
昨日のラジオで.....
昨日、仕入れに向かう際の車中で聴いていたFM。
そのローカルFMの パーソナリティーさんがこんな事を言っていました。
やってしまった後悔は時間とともに小さくなっていくが、
やらなかった後悔は時間とともにやがて大きなものになる。
それを聴いた瞬間、真っ先にちょうど会社を辞めて家業を継ぐか否かを迷っていた自分を思い出しました。
とても深い言葉だと思います。
家業を継がずに現在も会社員として生活していたら、きっとその後悔は計り知れないものとなっていたでしょう。
後悔先に立たず
ということわざもあるくらいですから。
まさに、3.11は私の人生を変えた日でした。
でも、今思えば、家業を継ぐという事は私にとっては逃れる事の出来ない運命だったのかも知れません。
やってしまった後の後悔よりも、先のことを恐れずに大きな後悔をしない人生を送る。
これからも幾多の波乱が訪れる事でしょうが、この未曾有の震災を乗り切った後で起こる波乱など、私にとってはそれは波乱とは呼ばないでしょう。
むしろ、波乱ではなく、それは第二の試練なのだと思います。
被災地の今後
復興工事が最盛期を迎えている被災地。
その復興需要の恩恵に預かる業種は決して少なくありません。
当館もその一つではありますが、今の目下の話題はこの震災需要が終息を迎えインフラの整備が整った暁には、被災地の人口は激減するという懸念。
事業・商売をやっている我々にとっては死活問題です。
道路整備が進む中で、流動人口の変化により地元消費も懸念されていて、地域経済に大打撃を与えるという予測もされています。
今後の被災地を盛り上げる手立てを考えるのは、我々の世代の一番の課題であると考えます。
行政に全て任せていてはダメ。
それを考えると夜も眠れなくなってしまいますが、考えなければなりません。決して結論は出ずとも、考え続けなければ答えなんて見つかるはずもないのです。
だから、日々に巻き起こる全ての事柄において、常に問題意識を持ち頭を使い続けなければなりません。
まとめ
震災から5年。
5年という歳月は、我々にとってはとても短いようで長い道のりでした。
この5年間、いつどのタイミングでどのような考えを持ち生活をしていたのか?なんて鮮明に記憶していないほどの激動の5年間でした。
多くのかたの尊い命を、財産を、思い出までをも奪った東日本大震災。
私達にとっては、決して忘れることの出来ない大災害でした。
残された我々は、5年前の3月11日に起こった出来事を一人でも多くの方にその現実を知ってもらい、震災を風化させないよう伝承活動に専念し、また文書として書き記し後世に残すことだと感じています。
それは、これからの世代の尊い命を未曾有の大震災から守るために、絶対に必要不可欠な活動なのです。
こうして、毎年この時期が訪れるにつれ、その役割の大きさと重要性を再認識させられての今日があります。今後、如何なる災害においても、決して一人の犠牲者も出してはなりません。
私はこのブログを通じて、少しでも多くの方にこの震災の事実を知って頂き、そして語り継いでもらい風化させないように今後も活動していく所存です。
最後になりますが、この度の東日本大震災にて被災され、その尊い命を失ってしまわれた犠牲者の方々に追悼の意を表し、黙祷を捧げます。
合掌。