震災に負けず立ち上がった宮古の名も無き旅館の記録

みかわ旅館のブログ

旅館再建に向けた想い

2014年9月11日

はじめに

いつもまじめな記事ばかりでしょ・・

という声も聞こえて来そうな気もしますが、まぁ、現時点でこのブログの読者様は、今のところ私の友達、元の同僚や部下、事業を通じた関係者の方々に限ってと感じておりますので、どんな突っ込みも真摯に受け止めたいと思っています。

旅館開業に向け、今日もたくさんの業者さんが出入りしておりました。

現在お取引のある業者さんから、新規で営業に来られた方等々。

皆さんに聞かれるのは、どうして旅館業を再建すると決断をしたのか?という質問が圧倒的に多いのです。

今回はそんなお話です。

少し長くなります・・・。

 

幼少期からのトラウマ

幼少の頃から実家では民宿業を営んでいたのですが、幼い頃からこの家業が嫌でした。

 

今から30年前のバブル全盛期、夏休みともなれば観光客で常に満室営業で、当然親はお客様のために朝から晩まで働いている訳です。自分たち子供の晩御飯はお客様に対してのサービスが終了する午後9時過ぎでした。

腹が減りすぎて気を失いそうになるくらい・・・。

ご飯は常にお客様に出した料理の余りもの。

炊きたてのご飯を食べられるのなんて年に数えるくらいでしたね。

そんなこんなで、自分たちが生活していくため、親は日々そんな条件下で私たち兄弟を養ってくれていたんだと気づかされたのは、親元を離れ私が社会に出た後でした。

しかし今、自分の子供に同じ思いをさせたくないとずっと感じていながらも、自分自身も親と同じ道を歩み始めようとしています。

 

何故か・・・。

 

きっかけは、3.11の東日本大震災にほかなりません。

 

あの震災さえなければ、私は一生サラリーマンで安定した収入で自分の好きな仕事をして生涯を終えたに違いありません。

震災後、3月の寒空の下、実家の解体を決め、母と二人で瓦礫撤去に明け暮れていた時、これで実家を継がなくてもいいんだ・・・という安堵感と、本当にこれでいいのか?と自問自答する日々が続きました。

代々、商売で受け継いで来た三河家の伝統を私の代で終わらせ、サラリーマン世帯として受け継ぐのか?私がその決断をした時、100%私も子供もそうなるような気がします。

自分の子供の将来は子供が勝手に決めるものなので、とやかく言うつもりはありませんが、せめて私の代までは商家としての責務?伝統?を守りたい  というのが一番の本音なのかも知れません。

多額の借金をしてまでも起業する人って、今では少なくなったと聞いています。

銀行の融資枠も厳しいし・・・。

でも、こんな私に気持ちに対して、応援してくれる人が圧倒的に多いのです。

一番の理解者は当然嫁を始めとする家族ですが、金融期間、関係するすべての業者さん、そして、先日まで働いていた”アンドーコーポレーション有限会社”の安藤社長を始めとする仲間たち。

12年働いた後、独立するので辞めさせて下さい・・・

と言われたら、果たして円満退社となるのかどうか・・・。

逆に私が経営者だったら、肩を叩いて手を振って送り出してやれるのか?

最近思うようになりました

送別会まで開いてくれるという一報が、今日入りました。

本当にありがたい事です。

そんな ”みかわ旅館”  は、10月1日(水) 正式にオープンが決定致しました。

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