震災に負けず立ち上がった宮古の名も無き旅館の記録

みかわ旅館のブログ

宮古市役所の移転に揺れる宮古市

2016年1月27日

震災から間もなく5年

未曾有の大災害となった東日本大震災から間もなく5年を迎えます。

現在の宮古市は、被災した方の新たな転居先である災害公営住宅の整備と高台を造成して宅地化する工事も進んでおり、震災直後に建てられた仮設住宅を後にする方も多くなってきました。

市内の空地という空地の至る所に立てられた仮設住宅。

新たな転居先が決まれば当然空室が出来るわけですが、間もなくこの仮設住宅の集約化が始まるそうです。

というのも、震災後に急遽立てられた仮設住宅が建っているのは、市が管理する公園などが殆ど。当時津波からの直接被災を逃れた住民からは、「子供の遊び場がなくなる」との声もありました。

これは実話です。

とても、同じ宮古市民とは思えません。

悲しくなります。

 

 

天国と地獄

まさに天国と地獄。

被災されていない方々は、公園が一時的に無くなってしまうことで我が子の遊び場が無いと言いました。

被災されて家屋・車・財産・想い出までもが津波で流出し、行き場を失い、着の身着のまま最寄りの小中学校の寒い体育館で不憫な避難生活をされていた方々はプライベートも何もあったものではありませんでした。

私の母(大女将)がそうでした。

大女将は約2年の間、仮設住宅のお世話になりました。

仮設住宅での暮らしも決して充分なものではありませんでした。

そんな方々を尻目に、我が子の遊ぶ場所の心配しかしない某市民......。

この事実を知った当時は、この街の将来はどうなってしまうのか?と震災以上の不安に駆られた事を今でも覚えています。

 

 

宮古市役所の移転問題

宮古市役所は宮古湾にほど近い閉伊川の河口のすぐ脇に立ってっます。

勿論、被災は免れませんでした。

 

■現宮古市役所(南西より)

 

■画面右側が閉伊川(全長76km)

 

■宮古市役所(北側:正面)

 

昭和47年に施工された鉄筋コンクリート地上7階建て。

築年数も今年で45年となり、鉄筋コンクリートの耐用年数を迎える時期に来ています。今後は修繕補修等の課題も出て来るでしょう。

震災時は庁舎の2階部分にまで津波が押し寄せ、該当部分は壊滅的被害を受けましたが、庁舎自体は無事で難を逃れました。

しかしながら、一階部分には市民の窓口である「市民課」などあり一時その機能を失いましたが、同敷地内にプレハブの仮設庁舎を建て業務が再開されたことで機能は一時的に回復しました。

そこで浮上したのが、今回の震災で被害を受けなかった市内中心部、JR宮古駅の南側にあるJR所有の跡地に宮古市役所本庁舎を移転するという計画。

 

■JR宮古駅(画面中央)と予定地(画面右)

 

■新庁舎建設予定地全景

 

■遊技場

 

概算事業費は、復興交付金と合併特例債を使って110億円を見込んでいるそうです。

しかし、2015年12月21日に行われた宮古市議会にて、この宮古市役所移転問題についての決議が行われましたが、議会の反対多数で否決されました。

災害時に市役所庁舎などが直接的に被災し行政機能が一時的に停止するということ自体が、災害復旧・人命救助に対しての遅れを取ってしまうという意見がある一方で、移転予定地のJR敷地跡周辺の環境に対しての問題を指摘する声も少なくないそうです。

現に沿岸の市町村で、庁舎自体を失い自治体そのものの機能を完全に失った市町村も少なくなく、その自治体は今となっても復旧・復興の遅れを取っているのが現状です。

そんな中での本庁舎移転問題に揺れる宮古市。建設を予定しているJR跡地において昨年地質調査が行われていましたが、その結果、鉛やヒ素などの有害物質等が相次いて発見され、移転予定地の土壌が汚染されている事に対して不安の声もあるとか。

 

 

まだ、予定地のすぐ脇には遊技場があり、庁舎予定地に隣接して遊技場があるという周辺環境の問題を指摘する議員や市民も少なくないのだそうです。

ただ、市民の利便性の観点から見れば、予定地がJR宮古駅(市内中心部)の隣に移転することにより、交通の便や特にクルマを持たないお年寄りなどが市役所を訪れる際の負担は軽減されるが、一方で市の中心部に移転することで予定地近隣を走る国道45号線、106号線などの周辺道路の渋滞も新たな問題として浮上します。

 

■JR宮古駅前ロータリー

 

 

■JR宮古駅前広場

 

庁舎の建設費の予算は110億円。

この計画には庁舎内に避難施設やコミュニティーセンター、保健センターも整備する予定なのだそうです。

今後移転を実施することで復興交付金と合併特例債を行使することができ、宮古市としての負担額は20億円程度で、残りを交付金で賄うことが出来ます。

この機を逃せば、二度と今回のような計画の本庁舎建設はできないでしょう。

今後も人口の減少が懸念されている被災地。税収も厳しくなる現状、110億円の予算など捻出出来るのでしょうか?。

 

 

市民の声

市議会で否決されたという事が市民の民意である証であるという意見の一方で、今移転を実行しなければ宮古市は今後自力で同じ規模の庁舎を建てる事は予算的に厳しいであろうと心配する議員や市民の声もあり、意見はまさに2分化されています。

震災時、閉伊川河口付近に隣接する現宮古市本庁舎を含む住宅地等が壊滅的被害を受けた事で、県は閉伊川河口に水門を整備する計画を現在実施しており、現在建設が行われている最中です。

 

■閉伊川河口(水門工事)

 

水門が完成すると、同クラスの津波が来たとしても被害は受けないであろうとされています。

本当のところはどうなのでしょうか?

この水門建設においても、市民から多数の反対の声が上がりました。

水門を建設することで、津波到来時に水の流れを人工的に変化させてしまい、今まで被害を被らなかった非浸水区域にまで被害が及ぶのではないか?との懸念もありました。

人間が想定している以上の災害が起きての今回の震災ですから言うまでもありません。

 

■閉伊川河口全景(この写真の奥側、太平洋から津波が押し寄せました)

 

しかし、水門を整備することで、現市役所付近の住民の安全は確保されると釈明する岩手県、そして宮古市。しかしながら、宮古市庁舎は安全な市の中心部に移転するという。

この事に対して、宮古市役所周辺に住居を構える市民は「水門を整備すれば周辺住民の安全は確保されると市民に説明しておきながら、自分達は安全な市街地に逃げるのか?」との意見も出ているそうです。

今後の動向から目が離せません。

 

 

まとめ

今回の宮古市本庁舎移転問題ですが、各政党間の争いも見え隠れしている様子です。

極めて政治的な要素も強い案件ですので、私はこのブログを通してこれ以上の言及は避けさせて頂きます。

宮古市一市民として賛成なのか?反対なのか?の意思表示が、今後必要になってくる事は必須と思われます。

はたまた、大阪都構想並の住民投票にまで発展するのか?

今後の動向が心配されますが、将来の宮古市にとって最善となる決議が採択されて、宮古市民にとっても宮古市政にとってもメリットのある結果を望みたいところです。

 

 

 

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