さぁ、新しい旅へ出港しましょう!!
2018年6月、宮古室蘭フェリーの就航まであと3ヶ月となりましたね。
ご近所の藤原埠頭では着々とフェリーターミナルの建設が進んでいるようです。
巷でも会う人会う人みなフェリーの話で持ちきり.....といった感じでもあります。
このところ、というか、昨今からの懸念である当館のブログ更新停滞問題......お恥ずかしながらブログの更新が滞っている問題も解決していないのですが、このブログの他にも現在6つのブログを抱えております故、ご勘弁願います。
まさに不定期更新宣言です。
さて、その宮古室蘭フェリーではございますけれど、このブログでも度々記事にしております。
宮古市の情報発信という意味では、今や一番ホットな話題でもある宮古室蘭フェリーを取り上げるというのは言うまでも無いことですが、自分が知っている事をスラスラと記事にしていった結果......
「宮古室蘭フェリー ブログ」でGoogleで検索すると、なんと当館のブログが検索1位となっておりましたことにまずビックリ。
これは、宮古室蘭フェリー記事を書いている人が以外と少ないのが影響しているんでしょう....笑。
これと言って、特別SEO対策してません。
取材を受けました
そんな事で、Googleのキーワード検索で見事1位を勝ち取った??訳ですが、そんな記事の露出が目立ったかどうかは知りませんが、その記事が北海道新聞社さんの目に止まったようで、先日取材を受けたのでした。
突然のお電話でビックリだったんですが......まぁ、この手の取材は大体突然の電話から始まりますけどね。
新聞社さんからの取材は、これで3件目になります。
でも、「フェリー」という括りでの取材でしたので、これについては初めてです。
岩手日報取材しないのかな?......笑。
当日お起しくださった記者さんは、当館にご宿泊もして下さいました。
Mさん、ありがとうございました。
翌日チェックアウトと同時刻に1時間弱の取材を受けました。
その取材の中での話には「フェリーの就航が決まった時にどんな気持ちだったか?」とかそんな感じの質問でした。
あまり話すとネタバレしてしまうので、多くは語りません......笑。怒られます。
ただ、私が話した事が丸々記事になるかどうかは別問題だと思っています。
なので、「記事に出来そうなネタだけ記事にしてください」とお伝えしてあります。
もしかしたら、オールボツで掲載されないかも知れませんので、期待しないで下さい。
とは言っても、北海道新聞ですので、東北の人はおろか岩手県民は見ることも出来ませんが......。
三陸沿岸道路
その取材の中でも話に上がったのですが、現在急ピッチで建設が進められている三陸沿岸道路について。
どう思うか?という質問があったのですが、道路が出来ることについて意見を述べるというのも始めででしたが、最初は質問の意味を理解するまで数秒掛かりました。
つまり、意見を求められているという事は、色々な意見が地元から上がっているという事なのだ。
例えば、人口が流出するとか、周囲に騒音公害が出るとか、きっとそんなご意見なのでしょう。多くは聞きませんでした。
道路が出来るという事自体、決して悪いことではないです。
実際に自治体や県や住民が欲しいと思ったからとて、簡単に出来るものではありません。
これだけの総延長距離の高規格道路が、過去に例を見ないほど異例のスピードで建設が進められているというのも、全てのきっかけは「東日本大震災」です。
このような表現は波紋を呼ぶかも知れませんが、あの震災が無ければ100%実現が不可能な道路です。
以前から計画はあったものの、結局は国からの予算が付かず建設を断念、もしくは先送りされてきた道路です。
山田町にあった三陸道の部分開通された路線がいい例です。
私が20歳の頃から出来てましたので、実に24年前から一部開通されたまま開放(放置?)されていたのです。
その震災で「いのちの道路」という名称が一躍有名になりました。
宮城県では土盛りした高い位置にある三陸道があったお陰で津波からの難を逃れた人たちがいます。
私も15年前まで住んでいたので良く分かりますが、宮城県の沿岸部から数十キロはほとんど平野です。
その平野にあのクラスの津波が押し寄せたので、陸地4~5キロの地点まで津波が押し寄せた訳です。
そんな中、沿岸部から少し離れた三陸道によじ登ったことで助かった命もあるのです。
そして、この道路が開通した暁には災害復旧のための物資の運搬ルートでも活躍される事が期待されています。
ただ端に人口の流出問題や騒音問題だけで片付けられる問題ではありません。
新しい道路を作るという事に対しての「きっかけ」が違うし、その道路が「果たすべき役割」が違います。
ただのクルマが通る道路では無いのです。
ここを履き違えてはいけないと思います。
それは、あの震災を経験してきた私たちだからこそ言えるのです。
まとめ
取材ではあれこれと言いたい事を言わせて貰いましたので、どんな記事になるのか想像も付きませんが、出来ればボツとなって掲載されない事を願います......笑。
朝6時に宮古着になるフェリーからのお客様に対して、我々地元民、特に商売をしている我々のような事業者がして差し上げられる事を色々と考えてはいますが、なかなか難しいのです。
朝の6時です。
当館は、川崎近海汽船さまより朝食の提供が出来ないか?との問い合わせを受けた事をきっかけに、保健所に「食堂営業」の申請を出すも、見事に即却下されてしまいました。
当館の厨房食堂のキャパでは既存の宿泊客で限界なんだそうです。確かに狭いです。
「私のこれまでの飲食店勤務のキャリアをナメてもらっちゃぁ困る!」
と言ったんですけど(嘘です)、まぁ行政に「ダメだ!」と言われればダメなんですよね。
敢えて今回はケンカしませんでした......笑。
因果な商売ですね。やりたくても出来ないなんて。
他の市内の事業者さんが、北海道からのお客様をおもてなししてくれることを節に願います。
それでは。