みかわ旅館のブログ

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宮古市の宿として2014年に再オープンしてからの日々の出来事を綴ります。

Mikawaryokan's Log

震災に負けず立ち上がった宮古の名も無き旅館の記録
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過去の震災関連記事を連載します。

まもなく東日本大震災より4年を迎えます。

 

はてなブログを始めたのは昨年の夏頃でしたが、目的は旅館のSEO対策や私自身の思ったことをストレートに記事にして、読者の皆様に紹介したいという想いから始めたのでした。

 

やはり、”みかわ旅館”の開業からの歴史は、未だ5ヶ月と若すぎる営業日数ではありますが、今日旅館業を再開出来たのは、行政、地元金融機関さん、建築メーカーさん、旅館で使用する寝具を無償提供してくださった、”東京 西川産業様”、”静岡旅館業組合の皆様”、その他関係する全ての皆様のご協力があってのものです。

 

 更に、三河家の先人たちがこの地で古くから商売を営み、私の祖父の代・・・今から約40年ほど前に民宿業を初めていたからこそ、今日があると感じています。

 

その中で41年前、三河家の長男として生まれた私が、旅館業で苦労しつつも私達を育てながら営業してきた母の背中を見ながら育ち、幼ながらに親と同じ仕事は絶対にしたくない!つまるところ、後継ぎなんで絶対にしない!と思いながら育ってきたのですが、

 

なぜ、その私が旅館業を継ぐ決意をしたのか・・・。

 

震災後の混沌とした周囲・・・当時務めていた市内の外食関連の会社員だった私は、全壊した旅館を三河家の長男として今後どうするのか?という難題を抱えながら本職であるファミレスの復旧作業に追われておりました。震災から1年が経過した頃、国から補助金を交付してもらえるかもしれないという情報を市内の同業者さんから頂き、あっさり旅館業を復旧させる決意をしたのでした。即決でした。

 

震災から2年、補助金の申請は並大抵の苦労ではなかったのですが、メーカーさんとの交渉、金融機関との取引の開始、補助金を申請するためのグループの結成、自宅の新築のためのメーカーさん交渉等々、慌ただしい日々が続きました。

しかも、県から正式に補助金の交付決定を受けているにも関わらず、金融機関の融資の交渉は1件断られ、このままでは事業が再開出来ないと半ば諦めかけた時期もありました。

 

そんな苦労の後、昨年の4月、やっとの思いで旅館の建築も始まり、私のサラリーマン生活もあと数ヶ月となった頃、すなわち旅館の開業の目処が立った昨年夏、このグログをはじめたのでした。

 

今、過去記事を振り返ってみると、あまり震災関連の記事を書いていないな?という事に気づきました。

 

私の中では特に触れたくない話題ではないのですが、やはり震災から苦労して開業した経緯はほんの一つの通過点に過ぎず、あまり拘りすぎては行けないものなのかな・・・と潜在意識の中に少しばかりあったのかも知れません。

とは言いつつも、実際のところ、去年までの約12年間サラリーマンとしての生活にすっかりなれてしまっていたせいか、個人事業主の1年生 そして初めて経験する大変な旅館業、これらを少しでも早く自分のものにしたいと、この半年間は無我夢中で業に専念してきました。そのためか、このブログは日々の業務日誌的なものがメイン記事となっていった傾向があります。

 

今思えば、やはり震災を風化させてはいけないのです。

 

とあるマスコミの取材を受けた時に、いつまでも被災者ぶっていても、これ以上は誰も支援はしてくれない・・・あとは自分たちでしっかりと自立し、開業に至るまでの間協力して下さった全ての方々に、何らかの形で恩返しをしていかなかればならないと考えた時もありました。

 

しかし、その東日本大震災という未曾有の大災害を伝承していくのも、被災した私共被災地で今なお生計を立て、被災地に何らかの形で貢献していきたいという事業者、もしくは住民たちの役目てもあると考えます。

 

はてなブログを始める前に、プライベートで別のブログを過去5年ほど書いていましたが、その記事の中でも震災当時の様子を少しばかりUPしておりました。

 

僅かな記事ではありますが、次回からその記事をはてなブログのほうにコピペして少しづつUPしていきたいと想います。